火炎と水流
―邂逅編―


#9 決戦! そして、さようなら

   

火炎が保育園に行ってみると、桃香は一人でポツンと砂場にしゃがみ込んでいた。火炎がいぶかしみながらも、他の母親達にあいさつすると、なぜかみんな、顔をひきつらせながら逃げて行ってしまう。昨日まで、あれほど親しくしてくれていた保育士達でさえ、よそよそしい態度をした。
「桃香?」
火炎が呼ぶと、ワッと泣きながら桃香がしがみついて来た。
「どうしたんだ? 一体……」
「火炎。みんなが変なの。みんな、桃香と遊んでくれないんだよ。みんな、水流のこと、化け物だって言うの。その化け物といっしょにいる桃香や火炎も化け物だって……」
「……!」
「ちがうよね? 桃香達、化け物なんかじゃないよね?」
「桃香……」

火炎は、自分もしゃがんで視線を合わせるとギュッと桃香を抱きしめた。それから、そっと頬を伝う涙をぬぐってやって言った。
「そうさ。桃香は人間だよ。化け物なんかじゃないさ」
「そうよね? 火炎も水流も、ちゃんと人間よね? みんながまちがってるんだよね?」
火炎は沈黙し、それからうなずいた。
「火炎! だあい好き! 桃香、もう泣かないから。早くおウチに帰ろう?」
「……そうだね。帰ろう。おウチへ」
言うと、火炎は立ち上がり、桃香の手を引いて歩き出した。途中、園長先生とすれちがったので頭を下げたが、怯えたような目をしてそそくさと行ってしまう。火炎は、引いていた桃香の手をギュッと強く握ると足早に保育園を出た。

ところが、家に着いてみると、テーブルの上に置いたはずのボトルがなかった。あの状態で一人で動けるはずないのに。火炎は家の中をくまなく探したが水流のボトルは見つからなかった。いやな予感がした。その時、開いた窓から風に乗って、一枚の紙切れが舞い込んだ。紙には、こう書かれていた。
『仲間は預かった。返して欲しければ、今すぐ中学校へ来い』
読み終わるとその紙は砂となって散った。
「砂地か……!」
火炎は、何もなくなってしまった手をゆっくりと握った。
「火炎……?」
「大丈夫。何でもないよ。おれは、これから、水流を迎えに行って来るからね。桃ちゃんは、おばちゃんの所でお留守番しててくれるかな?」
「うん。いいよ。桃香、おばちゃん、好きだもん」
「いい子だ」
そう言って、火炎は桃香の頭をなでると、大家を訪ねた。

が、彼女はドアも開けずに冷たく言った。
「化け物の子なんか預かれないわよ! できるだけ早く出て行ってちょうだい!」
やはり、そうなのだ。人間は、いつも見てくれや能力で差別する。昨日まで仲良くしてくれたのに、正体がわかった途端、手のひら返したように冷たくなる。いつもそうだった。だから、正体を知られてはならないのだ。理不尽だと思う。だが、火炎は引き下がった。
「……わかりました」
そうして、火炎は、家に戻ると桃香に言った。
「おばちゃんは留守なんだ。だから、今日は、桃ちゃん、一人でお留守番しててくれる?」
「……うん」
「よし。いい子だ。すぐに帰って来るからね。誰が来ても、ドアを開けちゃダメだよ」
火炎は愛おしそうに桃香を抱きしめ、その頭を何度もなでると、自転車に乗って家を出た。
「火炎!」
桃香が後を追った。が、火炎の姿は、もう、どこにもなかった。


ボソボソと話す声がした。外は何も見えなくなっているし、宙を浮いているような感覚が気持ち悪くて不快だった。誰かが運んでいるのだ。水流のペットボトルを……。火炎ではない。火炎なら、わざわざボトルを布にくるんだりしない。
(どういうことなんだ?)
水流は自由にならないボトルの中で暴れ、炭酸水のようにアワだった。
「よし。着いたよ」
という声と共に、パラリとボトルをおおっていた布が外された。薄暗い照明の下にたくさんの子供達がいた。
「ここは……?」
水流は、不自由な状態ながら、グルリとボトルの中を一周した。覚えのある声、そして、場所だった。そこは水流達のクラス。2年4組の教室だったのである。

「ようこそ、おれ達のとりでへ」
そう言ったのは水原だった。
「水原……おめー、おいらのこの姿を見ても驚かねーってことは、おめーも妖怪!」
「そうだよ。おれも、陽子も滝本も、みーんな妖怪の仲間さ」
「何だって? ここは人間の学校じゃなかったのか?」
「そうよ。でも、わたし達の学校でもある」
と、陽子が言った。
「妖怪の学校?」
「って言うか、隠れ家って言った方がいいかな? おれ達は、仲間を結集してるんだ。君がもし、おれ達の仲間になるってんなら歓迎するよ」
「そうそう。仲間は一人でも多い方がいいからね」

「仲間を集めてどうすんのさ?」
「無論、人間達から世界を奪い返すのさ」
「もともと、この世界はわたし達妖怪のものよ」
「それを人間が我がもの顔して暮らしてる」
「おれ達の方が先に暮らしてたのに」
「それで、どうするのさ? 奪い返すって」
「もちろん、人間を一掃するのさ」
暗い照明のせいで、目から上の部分が影になり、皆、不気味この上ない顔で笑っている。
「チェッ! 冗談じゃねーぜ。おめーら、正気か?」
水流がきいた。が、皆、ニヤニヤとしているだけで応えようとしない。
「バカな真似はよせって。いくら人間が弱いからって、相手は数がいるんだぜ」

「心配には及ばないぜ。こっちには砂地さんがついてるんだからな!」
聞き覚えのある声だった。
「テメーは五十嵐!」
「ホウ。ずい分しゃれた所にいるじゃねーか」
と言って、五十嵐はボトルを持って振り回した。
「うわっ! やめろ! 目が回るゥ!」
「ホント。いいカッコウだぜ。水系ってのは案外不便なものなんだねえ。なあ、水原?」
「え、ええ。まあ。五十嵐さんにはかないませんよ」
と、水原が苦笑した。
「何だ。水原。やっぱ、おめー、水系なんじゃねーか」
「まあね」

「気づかねーおめーが鈍いんだよ」
とまた五十嵐がボトルを振る。今度はシェーカーのように思い切りシャカシャカした。
「うわっ! やめろって言うのに!」
水流がボトルの中でアワを吹いた。
「で? どうすんだ? 仲間になるのか? ならねーのか?」
と、五十嵐がボトルをトンと机の上に置いてきいた。
「ケッ! 誰がおめーらの仲間になんかなれるかい! 第一、砂地ってのは火炎の、桃ちゃんの敵なんだぞ!」
「火炎か。奴も変わった奴らしいな。人間の女の子にウツツを抜かして骨抜きになってるそうじゃねーか。あげくに砂地さんに付きまとって邪魔をする妖怪世界の裏切り者さ。砂地さんも大層お怒りでね」
「おい、待てよ。悪いのは砂地の方じゃねーか。怒ってんのは火炎の方だぞ!」

「ホウ。何をそんなにお怒りで?」
五十嵐がトボケた口調で言う。
「汚ねー手で人間をだましたんだろ? おいら、ちゃんと知ってるんだからな!」
「おや。だましたとは人聞きの悪い。そういうのを人間社会ではビジネスって言うんだぜ」
「そんなのビジネスじゃねー!」
水流がフツフツと沸騰するような勢いで言った。だが、五十嵐は冷酷に言う。
「甘いね。おまえも。そんなの人間社会じゃ常識なんだよ。しょせん、人間なんて、みんな汚いことやってるんだぜ。その汚いものをおれ達が処分してやるんだよ」
「うるさい! 知ったふうな口をきくな! おまえは知らないんだ。人間のあったかさも、やさしさも、何も知らねーくせに、人間の悪口を言うんじゃねー!」
それを聞くと、五十嵐の目がスーッと細くなり、見下したように言った。
「なら、いいんだな?」
「いいって何がさ?」
ハスにかまえて水流が言う。

「裏切り者は殺す! たとえ、仲間であろうとね。さっきは、同じ水系のよしみでと水原が懇願したから手加減してやったが、今度は、そうはいかねえ! いいな? 水原」
水原が暗い顔でうなずく。
「何だ。そういうことだったのかい。水原。ありがとな。だが、もうそんな心配はいらねーよ。さっきは、おいらも油断してたんだ」
「ホウ。なら、やってみろよ。ボトルの中から出られもしねーくせに」
と、机の上のボトルを指先でピンピン弾いた。
「うっせえ! 見てろ」
水流はボトルの中で光を放ち、ブクブク、ブツブツと呪文を唱え始めた。その声がだんだん大きく激しくなり、光が増した。

「何……!」
五十嵐が顔色を失くし、他のみんなも蒼白になって後退した。何かが起きようとしている。と、次の瞬間……。ピカッ! と、辺りが純白の光に包まれた。そして、少年の気合と共にピシッと何かが弾けるような音が……! やがて、少しずつ光が消え、互いの顔がハッキリ見えて来た。が、誰も何も言わなかった。そして、光が完全に収まった時、皆、そこに注目した。水流のボトルに……。
が、特に変化は見つからなかった。よく目をこらして見れば、ほんの僅か、えんぴつで書いたようなヒビが薄く入っているだけで……。
「チェッ! 失敗か……」
ボトルの中からボソボソ言う声が聞こえた。これには、皆、拍子抜けした。

「ふざけるな!」
五十嵐が怒鳴った。
「思わせぶりなことしやがって!」
「ハハーンだ。結構ビビッてたくせによ。おめー、ホントは弱いんじゃねーの?」
と、言って水流が笑った。
「貴様! 絶対に許さねー! バラバラの粉々にしてくれる!」
五十嵐がカッとしてボトルを取り上げようとした。その時。
「五十嵐」
誰かが呼んだ。砂地だった。一瞬、五十嵐の気がそれる。その間に、水原がサッとボトルのフタを開けた。
「出ろよ。今のうちに」
「サンキュー。水原。おめー、やっぱりいい奴なんじゃねーか」
ストンと水流が飛び出して机の前に立った。

「水原! テメー、裏切りやがったな!」
振り向いた五十嵐が電撃を放った。声もなく、水原が倒れ、陽子が悲鳴を上げた。
「水原!」
水流がヒザをついて支えた。
「いいんだ。おれ達、力のない者はそうするしか道がなかったんだ。けど、せめて、おまえは自由にしてやりたかった。水流、おまえ、今も人間が好きなんだな。うれしいよ。おれ、ずっと、おまえに謝ろうと……けど、こうして妖怪に生まれ変わっても、やっぱり弱くて。でも、おまえに会えてよかっ…た。おれは…タ…ケル……水原タケル……おまえの友だ…ちだった……そして、今で…も……ずっと……」
水原はスーッと眠るように溶けていった。水流の手にあふれた水がポタポタと床をぬらす。
「タケル……? おめー、許してくれるのか? おいらを……タケル。タケル――ッ!」

水流の瞳がキラリと光った。
「五十嵐! テメー、よくも仲間を……!」
水流の怒りとは対照的に、五十嵐は落ち着いた顔で水流を見下ろすと、唇のハシを僅かに上げて言った。
「仲間だと? 裏切り者の仲間など必要ないね。水原もバカなことをしたもんだぜ。おれや砂地さんにとってはおまえがボトルに入ってようが外に出てようが関係ない。まるで意味のないことだったのによ」
「そうかい? なら、ホントに意味がないことかどうか試してみようぜ! 行くぞ!」
水流の足下から次々と水が噴出し、水のカーテンを作り出した。それが一気に膨らんで孤を描いたかと思うと津波のように五十嵐を襲った。が、その水のヴェールを破って五十嵐が顔を出す。その目が怒りで血走っていた。

「よくも……!」
そして、微かにその体が発光している。電撃を放つつもりなのだ。
「そうはさせるか!」
水流は再び、結集した水を束ね、回転させると巨大な水のうねりとなって五十嵐に絡みついた。水はまるで命を与えられた龍のように五十嵐の体を容赦なくギリギリと締め上げる。
「どうだ? 五十嵐。参ったか? これでもう、身動きとれねーだろ?」
水流が勝ち誇ったように言った。が、五十嵐は不敵に笑う。
「ほざいたところで、しょせんはここまでよ」
「何……!」
一瞬だった。弾かれたのだ。瞬時にして水の戒めは解かれた。そして、すさまじい雷光と共に教室のあちこちに雷が炸裂した。キャーキャー、わーわーと子供達が逃げ惑う。

「ちっくしょー!」
水流は、今度は足下から急流の流れで五十嵐の足をすくった。五十嵐は流れに押されて教室の隅まで流された。が、そこで、五十嵐はその水に電流を流したのだ。水を通した電流はたちまち水流や他のみんなを感電させた。
「くっ! 体がしびれて動けねえ……」
と、そこに強烈な電光が走った。
「ぎゃあーっ!」
衝撃の電光が水流の体を貫いていた。水流はクタリとして動かない。皆、怯えたように五十嵐を見ている。やはり、自分達はこの男にはかなわない。従うしかないのだ。と、彼らの胸を絶望がおおった。砂地は、自らは手を出そうとはせず、ずっと高い所から、彼らの様子を見下ろしている。抜け目のない鋭い視線が子供達の心を、更に振るえ上がらせた。
「チッ! あっけねーな。口程にもねえ」
五十嵐が倒れている水流の頭をけった。

「おい。五十嵐。まだ、完全につぶすなよ。そいつは火炎をおびき出すための大事なエサなんだからな」
「ヘヘ。わかってますよ。砂地さん」
五十嵐が言った。
(ちくしょ! おいらのことエサだって? バカにしやがって……見てろ。このままで済ますもんか! 火炎の足手まといになるのだけはいやだ……!)
水流は、こん身の力を込めて右手を伸ばし、五十嵐の足首を掴むと思い切り引きずり倒した。
「うわっ! テメー、何をする?」
不意をつかれて五十嵐が動揺した。
「何をだって? こうしてやるのさ」
水流は五十嵐の上に自分の体を乗せ、グチャリと溶けた。そして、液体となった水流が五十嵐の全身を包み、鼻からも口からも入り込み呼吸を止めた。
「うぐぐ……!」
五十嵐が苦し紛れに電撃を放ったが、全身ピッタリと水に包まれているため、水流と共に自らの電撃を自分自身もくらうことになった。ギギェーッ! と、声にならない声を発して、五十嵐は、目を白黒させている。

「どうした? 五十嵐。抵抗はここまでか? もっとも今ならまだ助かるぜ。おめーが降参するってんならな」
水流が上半身だけ人間体になって言った。五十嵐はフガフガともがきながらうなずいた。
「よし。なら、許してやる。おいらは、心の広―い精霊様だからな」
言って、水流はサッと人間体になると五十嵐から離れた。
「ま、わかればいいのさ。わかれば」
と、その時。ギャッ! とすさまじい悲鳴が、その足下から響いた。
「五十嵐!」
水流が叫ぶ。五十嵐の大きな体が閃光に包まれていた。そして、みるみるその光の中へ消えて行く……。最後に胸の辺りに突き刺さっていた矢が崩れ、その下から美しい光の渦が花火のように散った。それは砕けた命。命玉が弾けた光だった。

「どうして……?」
水流は、燃える眼差しで砂地を見た。
「不要になったら始末する。それだけのことさ」
「不要だと? さんざ、いいように使ってたんじゃねーのか? 奴のこと」
「ま、そういうこともあったかもしれないね」
砂地はカチリとライターでくわえたタバコに火をつけた。
「ふざけんな!」
水流は、砂地の頭上からザバッと水をぶちまけた。
「おや。あれほどのダメージを負いながら、君は元気だねえ。せっかくのタバコが台無しじゃないか」
言って、ビショぬれになったタバコをポイと捨てるとギリギリと靴先でふみにじった。

「あの時もそうだった。てっきり、君がこうるさい火炎をどうにかしてくれるんじゃないかとちょっと期待してたんだけどね。どうやら、期待外れだったようだ」
「うるせー! あの時、おいらが行かなきゃ、おめーなんか、とっくに火炎にやられてたんじゃねーか。ちっとは感謝したらどうだい? え? もっとも、おいらだって、おめーが悪い奴だと知ってたら火炎といっしょにやっつけてやったのによ」
「悪い奴とは心外だね」
「黙れ! 仲間をやりやがって! おめーが悪でなかったら、誰が悪だって言うんだ?」
水流がにらんだ。

「うるさいね。おまえ達、少し黙らせてやりなさい」
砂地が言うと、一斉に子供達が襲いかかった
「うわっ! バカ! おめーら、何すんだ? 襲う相手がちがうだろうが」
水流がわめいた。が、彼らはきかない。瞳の中に光がなかった。
「やめろ!」
弦草のムチが背中を打ち、火の玉がぶつかり、鎖が足に絡みつく。そして、粉雪が舞い、小さな竜巻が股下をくぐり抜けた。一つ一つは小さな力だったが、まとまって来られたのではたまらない。中には、能力も使えずに黒板消しや定規を持って襲って来る者さえいた。
「やめろ! みんな、目を覚ませ! おいら達が戦う理由なんかねーんだ」
しかし、水流の悲痛な叫びも、もはや、誰の耳にも届かなかった。身動き取れなくなった水流がふと前を見ると、陽子が光の矢をかまえて立っていた。

「陽子ちゃん……?」
水流が信じられない、といった顔で彼女を見つめた。すると、陽子は僅かに微笑む。そして、ためらわずに矢を射った。矢は水流の胸を貫通した。
「どうして……?」
水流が膝をついた。
「水流、あなたが好きよ。でも、できれば、静かに暮らしていたかった。タケルと共に…」
「陽子…ちゃん……」
水流は片手をついて頭をたれた。
「そうさ。おれ達、力のない者は……影に潜んで平和に暮らして行ければよかったのに」
と、みんなも詰め寄る。
「水流。おまえが台無しにしたんだ! そうだ。おまえさえ、来なければ……!」

「それは、ちがうな」
突然、男の声がした。いつの間に現れたのか? 入り口の所に男が立っている。
「教えてやろうか? それは、おまえ達が自らの意志を持たない者だからだ」
それを聞き、皆が動揺した。
「火炎……」
抑揚のない声で水流が言った。顔面蒼白、全身ボロボロ状態の水流だったが、それでも、何とか壁に手をつき、顔を上げて言った。
「おめー、来るのが遅いぞ。せっかく、おいらが砂地を引き止めておいてやったのによ」
「憎まれ口をたたけるようなら大丈夫だ」
そう言って、火炎は砂地の所へ行こうとした。

「待て! そうはさせるか! 行け! みんな! 砂地さんを守るんだ」
ワッと一斉に子供達が火炎を襲った。が、火炎はチラと振り返ると、炎の風でそんな子供達を無造作に払いのけた。風圧に飛ばされ、散り散りになる生徒達。が、それでも尚、攻撃をしようとする。火炎は面倒くさそうに、そんな彼らを一瞥し、片手を上げた。
「消えろ! ザコ共」
その頭上で炎が旋回し、闇が牙をむいた。
「やめろ! 火炎!」
水流が叫んだ。一瞬、炎が宙で止まる。
「やめてくれよ。こいつらはみんな、おいらの友達なんだ」
必死に訴える水流を、しかし、火炎は冷ややかに見た。

「友達? そいつはまた、ずい分、物騒なお友達だな。だが、おれには関係のないことだ。おれの進路を邪魔する奴は容赦しない。たとえ、誰であろうとな」
「火炎!」
その間にも攻撃して来る彼らを水流は止めようと必死だった。
「みんな、やめろ! やめるんだ!」
しかし、子供達はきかず、手に手に武器を持って火炎に突っ込んで行った。が、次々と繰り出す彼らの技は、火炎の前では何の役にも立たなかった。目の前で消滅して行く彼らを救えないもどかしさに、水流はうめいた。
「火炎……どうして……?」
「よく見ろ! 水流。こいつらは幻だ。すでに、この世には存在してない者なんだ」
火炎が言った。
「ちがう!」
水流は叫んだ。そして、何とか立ち上がろうと、一人でも救おうと必死にもがいた。が、ダメージの重みに視界が揺れた。

「おっと。まだ、ネンネには早いぜ。坊や」
誰かの腕が水流を支えた。
「な…に……!」
砂地だった。火炎が子供達を相手している間に移動して来たのだ。砂地は、瀕死の水流を捕まえて言った。
「どうだ? 火炎。おまえの仲間は、おれの手の中にある。こいつの命が惜しければ、一つ、このおれと手を結ばないか?」
彼らの他には、もう誰もいない。子供達は、皆、火炎により、闇に還されていた。
「断る」
火炎は即答した。
「フン。ニベもないね。坊やがかわいくないのかい?」
「そんなお荷物が欲しいならくれてやる。好きにすればいい」

「そうかい? なら、少しばかり楽しませてもらおう」
と言うと砂地は残忍な笑みを浮かべ、水流に刀剣を突き立てた。水流が悲鳴を上げる。
「大丈夫。命玉を傷つけない限り、君は死なないのだからね。つまり、永遠に苦痛だけを与え続けることができるって訳だ」
と言って、砂地は笑った。狂気の笑いだ。そうして、崩れそうになる水流を引きずって起こし、再び、剣を突き刺した。怯えたように、水流は砂地を見、それから、火炎を見た。
「おまえも、相当な悪趣味だな。砂地。そんな奴を拷問して何が楽しい?」
「ああ。楽しいとも。苦痛に喘ぐ顔が愛しくてね。それに、火炎、おまえのそれは極上だ」
「苦痛だって? おれは、こんな奴が死んだとて針の先程も苦痛を感じたりしないがね。ただ、おれは気が短いんだ。目の前でチマチマやられるのは目障りだ」
言うと、火炎はいきなりその手から火球を放った。熱く鋭い溶岩の火球だ。水流が驚いて目を見開いた。

「火炎……! まさか…本気でおいらを……?」
「そうだ。はじめから目障りだったんだ。消えろ!」
ゾッとするほど冷酷な目で、火炎が言った。火球は三つ。それが、水流の胸に炸裂した。
「ウギャアーッ!」
水流は水滴となって四散した。
「残酷な男だね。君は」
砂地が言った。
「フン。貴様だけには言われたくないセリフだな」
火炎がにらむ。

「まだ、恨みに思っているのか? たかが人間のことで」
「おれにとっては大切な人だった……!」
「大切? ああ、あの女のことか?」
と、言って、砂地は笑った。
「妖怪であるおまえが人間の女を愛したと言うのか?」
砂地はケラケラと笑い続ける。
「火炎。おまえ、何年生きてる? 千年か? それとも二千年か? 人間は何年生きる?しょせん、消耗品に過ぎないのだ。人間など」
「寿命が短いからこそ、人間は一生懸命生きてるんだ。少なくとも、あの親子はそうだった。それを、おまえが、ムリヤリ奪ったんだ。夢を、希望を、そして未来を!」
火炎の背後で鬼火が燃えた。

「何をそんなにムキになる?」
「黙れ! 今度こそ、確実に息の根を止めてやる……!」
言うが早いかカッとその腕に炎が燃え上がった。そして、炎は龍となり、砂地に絡みついた。砂地の体が炎に包まれた。かと思うと、中から砂が噴き出した。砂は嵐となって炎を消した。が、火炎はすかさず、溶岩の火球を飛ばす。砂地はそれをヒョイヒョイと交わす。が、火球はそれても、また戻って来て襲い、新たな火球が次々と放たれて来る。ついには溶岩に囲まれ、身動きが取れずに喘いでいる。
「今度こそおしまいだ!」
と、火炎がとどめの一撃を放った。巨大な火球が辺りをおおい、火柱となって天へ昇る。やったかと思った。が、すべての火の手が収まり、辺りに静寂が戻った時。地の底から男の笑い声が響いて来た。

「何……!」
見ると、先程まで男がいたはずの床が渦巻き上に広がり、中央が沈んで行く。そして、アリ地獄のようにその中央の砂から男が出現した。
「フフ。残念だったな。火炎」
「貴様……!」
火炎がクロスした腕を突き出すと、灼熱の網が広がり、砂地を捉えた。炎の網は赤く、激しく細い網目の一本一本に憎悪の火が宿り、獲物を締めつけて地獄へと誘う。
「この灼熱の網火は外せない。もがけばもがく程絡みつき、その体ごと猛火に包まれるのだ。今度こそ、おまえを逃がさない」
言うと、火炎は一気に網を締めつけた。砂地の体からプスプスと黒煙が上った。
「とどめだ! 二度と復活できないように命玉を砕いてやる!」
と、火炎がその右手を突き出した。その手が紅蓮の炎に包まれている。力を集約し、こん身の一撃を加えようとした、まさにその時……。

「火炎……」
誰かが呼んだ。ぎこちなく振り向いた火炎の瞳が捉えた者は……。
「桃香……!」
火炎は、驚愕のあまり自らに宿らせた炎を消すことも忘れ、呆然と立ち尽くしていた。
(一体、どうして……? まさか、おれの後を追って……?」
「ダメよ! 火炎。そんなことしちゃダメェ!」
桃香がしがみついて来た。腕を炎に包んだ姿のままの火炎に……。
「桃香……」
ゆっくりと自らの炎を消し、それとともに砂地のそれも消えた。
「いけない子ね。火炎。そんなことしちゃメッ! でしょ?」
と、桃香がにらむ。が、その顔ですら、天使のように愛らしい。

「桃香……」
小さい桃香がそっと火炎の腕に触れる。さっき、炎に包まれていた方の腕だ。
「熱くないね」
「桃香……おれが恐ろしくはないのか? 炎の化け物であるおれが……?」
「どうして?」
桃香が火炎の瞳を真っ直ぐにのぞき込んで言った。
「火炎は火炎だもん。桃香、知ってるよ。火炎がずっとママや桃香のこと見ていてくれたこと。桃香が赤ちゃんの時、暖炉の火の中に投げちゃったボールをやさしく投げ返してくれたこと。あれは火炎だった……。火炎だったんだ! 桃香、もう、火を恐がったりしないよ。だって、火は、こんなにもやさしくてあたたかいんだもの」
「桃香……」
火炎はギュッと桃香を抱きしめた。その間に砂地が這い出して逃げ出して行ったが、気にならなかった。
「火炎。だあい好き!」
桃香が抱きついて火炎の頬にキスをした。
「おれもだよ。おれも、桃香のことがだあい好きさ」
火炎は、そう言うと桃香の小さな肩に顔をうずめた。

「水流は?」
と、桃香がきいた。
「水流は……」
火炎がゆっくりと立ち上がり、桃香の肩に手をのせて言った。
「水流。そこにいるんだろう? 姿を見せろ」
すると、黒く焦げて散乱した机や壁から水滴がしたたり、床に水たまりができた。それが更により集まって一つになったかと思うと、みるみる水面がせり上がり、ニョロっと少年の頭が現れた。そして、ブルルンッと頭を振る。
「ったく。ひでぇことしやがる。もう少しで、おいら、ホントに死ぬところだったんだぜ」
と、少年が文句を言った。
「バカ言うな。ちゃんと急所は外してやったんだ。感謝しろ」
火炎が言うと、桃香がクスリと笑った。
「水流はやっぱり化け物かもしれないねえ。体溶けてるし」
「ひどいよ。桃ちゃん。おいらは、こう見えてもれっきとした精霊なんだよ」

「精霊?」
桃香が不思議そうな顔をする。
「だがな、水流。人間の言葉で言えば、精霊も妖怪も皆、モンスターと言うそうだ。つまり、化け物さ」
「ヘヘーンだ。妖怪でも化け物でもかまやしねーよ。結局は人間が勝手にそう呼んでるだけじゃねーか。人間が生まれる前からおいら達はいるし、人間が、どんなにいやがってもおいら達はこの世界で生きてるんだ。妖怪万歳! さ」
「そうだな……」
火炎が言った。
「水流。桃香ね、水流が好きだよ。化け物だって」
と、しゃがみ込んで水から出た、その頭をそっとなでた。
「ありがと。桃ちゃん。うれしいよ。なあ、火炎。人間の中にだってさ、桃ちゃんみてーに、ちゃんとおいら達のことわかってくれる人がいるんだ」
火炎がうなずく。と、スーッと水流が水の中に溶けた。
「水流、どうしたの?」
「心配ない。水流は、少し疲れて眠っただけだよ」
そう言うと、火炎はそっとその命の水をすくった。


「この街とも、今日でお別れなんだな」
三人で歩道を歩いていた。縁石の上を渡っていた水流がピョンっと跳び下りて言った。
「なあ。ちょっと学校に寄ってもいいか? たった3日だったけど、楽しかったんだ。だから、最後に、もう一度だけ見ておきたいんだよ」

市立第三中学校。その昇降口から上がろうとすると、事務員に呼び止められた。
「あなた、見かけない子だけど、ここの生徒?」
「はい。2年4組の谷川水流です。今度、引っ越すことになったんですけど、その前にもう一度だけ教室見ておきたくて」
「変ね。ウチの学校。2年生は3組までしかないんだけど」
「え? そんなはず……」
水流が階段を駆け上がる。
「ちょっと! 君、待ちなさい!」
と、事務員が追い、そのあとを火炎と桃香が追った。
「だって、確かあそこに……ホラ。ちゃんと2年4組って書いてあるでしょう?」
廊下のプレートの文字は心なしか薄くなっているような気がした。

「でも、そこは……」
事務員が言いかけた時、水流が教室の扉を開けた。が、ハッとしたまま固まっている。後から来た火炎と桃香ものぞいて驚いた。そこは荷物置き場になっていた。もう使われなくなった古い机や椅子や壊れたロッカーなどが所狭しと積まれていた。埃と昔の匂いがした。
「この学校も昔は生徒が多かったらしいけど、今は少子化で、教室も余ってるのよね。ここはたまたま倉庫として使われているのだけれど……」
「そんな……」
呆然としている水流に火炎が言った。
「だから、言ったろう。あれらは幻だったと。行くぞ。気がすんだろう」
と、火炎が言って桃香を連れ、階段を下りて行った。事務員も去り、水流一人になった時、ふと、心の中に声が響いた。

――谷川君
「陽子ちゃん……?」
教室に積まれた箱と机の間にキラリと光る物が見えた。
「あれは……」
水流が近づき、手に取ると、それは黄金色のネックレスだった。あの時、排水管から水流が拾ってやったあのネックレスだ。水流はキュッとそれを握りしめた。
(やっぱり、あれは幻なんかじゃなかったんだ)
「陽子ちゃん……ありがとう」
その時、階段の下から彼を呼ぶ声がした。
「水流! 早くゥ」
桃香だ。
「うん。今、行くよ!」
元気に言うと、水流はピシャリと扉を閉め、慌てて階段を駆け下りて行った。

END